先日久しぶりに伊勢に行くことになり、お参りがてら行ってきました。
海外に住んでる時に、
日本の歴史や都道府県の特徴を調べる中、伊勢のことで少し気になってたことがあったのです。
今ある伊勢神宮は本宮ではないという話。
その記事を見つけた時に絶対に行こうと思ってて、
ついにその日がやってきました。
しかも急に決めて行くことになったのですが、
なんかそれもすごく意味があるということらしいです。
神様が僕を呼んでいる。。
なんか急にそういった神聖な場所に行くというのは、
神様がお呼びになってるということらしい。。
僕は霊感がある訳でもなく、もちろんスピリチュアル的な感性もありません。
でもそう言われると信じてしまうので、
さっそく行ってみようと。
基本的に人の話は素直に聞かないですが、
犬と神様の話はしっかり聞きます笑
たまには僕の体験記でも読んで頂けたらうれしいです。
伊雑宮と伊勢神宮の関係とは?
これから説明することは確実な説ではありません。
その時代に生きてた人が現存してる訳ではないので確実なものでないです。
でも日本の歴史を遡ると色々見えてくるものがあります。
日本人のルーツや日本という国のこと。。
ちょっとマニアックな話になる為、興味のある方だけこの先読んでください。
皆さんは、『伊雑宮』って聞いたことありますか?
地元の方や歴史に詳しい方なら知ってるかもしれないですが、
他県の方からすればどこの何だか知らない人が多いと思います。
僕もちゃんと調べるまで知りませんでしたから。
伊勢神宮と言えば、全ての神である『天照大神』を祀ってありますよね。
天照大神(あまてらすおおみかみ、あまてらすおおかみ)は、日本神話に登場する神。
皇室の祖神で、日本国民の総氏神ともされる。
『延喜式』では自然神として神社などに祀られた場合の「天照」は「あまてる」と称されている。
天岩戸の神隠れで有名であり、記紀によれば太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)とされる。
神社としては伊勢神宮が特に有名。
日本で一番有名な神社と言えば『伊勢神宮』や『出雲大社』などが出てくるでしょう。
その伊勢神宮なんですが、
たくさんの謎や未だに解明されていないことがたくさん存在します。
そして伊勢神宮と伊雑宮は日本の歴史上すごく重要な存在なのです。
1、伊勢神宮と天皇と天照大神
伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。
なお「伊勢神宮」とは通称であり、正式名称は地名の付かない「神宮(じんぐう)」。
他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。
神社本庁の本宗(ほんそう)である。
二十二社(上七社)の一社。
まず伊雑宮のことを知る前に、伊勢神宮のことから知る必要があります。
皆さん知ってると思いますが、伊勢神宮には『内宮』と『外宮』がありますよね。
その違いって知ってますか?
実は祀られてる神様が違います。
内宮・・・天照大神(あまてらすおおみかみ)
外宮・・・豊受大神(とようけのおおかみ)
そしてそれぞれの神社を訪れる際に必ず守るべき順序があります。
先に『外宮』を参拝してから、『内宮』を参拝するのが正しいやり方。
でも一つ疑問が湧きませんか?
なぜ最高神である天照大神よりも先に豊受大神を参拝するのでしょうか?
通常、参拝する際には位の高いものから参拝します。
ということは、豊受大神の方が位が高いということになりますよね。
そこで調べた結果、豊受大神のことを記してある記事を見つけました。
外宮の神職である度会家行が起こした伊勢神道(度会神道)では、
豊受大神は天之御中主神・国常立神と同神であって、この世に最初に現れた始源神であり、豊受大神を祀る外宮は内宮よりも立場が上であるとしている。
この伊勢神道というものがすごく関係していて、
伊勢神宮の外宮の神職(度会氏)によって唱えられるようになったものが、未だに影響を受けてるのです。
その思想は、外宮の祭神である豊受大神を、
天地開闢に先立って出現した天之御中主神や国常立尊と同一視して、内宮の祭神である天照大神をしのぐ普遍的神格(絶対神)とし、内宮に対抗する要素があった。
それまで、外宮の豊受大神は、内宮の天照大神に奉仕する御饌津神とされていたが、度会氏は『神道五部書』を根拠に、外宮を内宮と同等、あるいはそれ以上の権威あるものとし、伊勢神宮における外宮の地位の引き上げを目指した。
伊勢神道の理論の構成には、中国思想の影響が多分に感じられるが、絶対神の存在を強調することで、神を仏の上位におき、反仏、排仏の姿勢を示したのである。
神職による思想が未だに継承されてるのですが、
実は天照大神と豊受大神は対等、もしくは天照大神よりも立場が上にいると言われています。
ただ、人類にとっての最高神が天照大神なのは確かです。
本来の豊受大神は『五穀豊穣の神』なので、
イコール『衣食住の神』として人類にとって絶対に必要な神になった。
それで絶対神にしたかったのではないかという説もあります。
でもなぜこのようなことになったのか、明確な答えはありません。
そして、実は伊勢神宮自体の持ち主は表向きは国の所有物ですが、
本当は天皇の所有物と言われています。
なぜなら天皇は天孫族の末裔であり、天孫族の祖先は天照大神だからです。
ということは天皇陛下は天照大神の末裔であるということになります。
天孫族(てんそんぞく)は、日本神話において降臨しヤマト王権をつくったとする古代勢力の総称。
また「新撰姓氏録」では天照大神などの子孫を「天孫族」としている。
ここで言う『ヤマト』とは『日本』を表しています。
当時の日本列島は大陸から渡来した様々な人種が混在していました。
天孫族がその一部族であったことは間違いない話です。
それがどこの出身か、いつきたのかは分からないですが、
幾つかの傍証から、中国の南方あたりから渡来した可能性が高いと言われています。
現在は公言されていませんが、
天皇家はかつて「姫」姓を名乗っていたと言われ、その記録も中国にあります。
姫性とは中国の古代名族で、周王朝の王族。
秦、呉、燕など日本と関わりがあったであろうすべての国の王はこの姫姓ですから、
その一派が日本で作った民族として発展し、やがて大和朝廷に発展したのでしょう。
ただ、2世紀以後は朝鮮半島から渡来した勢力が台頭し政権の中央に座ります。
天皇家の血脈は大筋2系統ですが、明らかに出雲勢力系が大半を占めます。
今では純日本人はほとんど存在せず、
朝鮮や中国の遺伝子など様々な人種が混在してるそうです。
更に、古事記や日本書紀によると、
天照大神は高天原(たかまがはら)を治める神としています。
まず高天原という文言は後世のもので本来は「あまがはら」です。
アマとは当時「海」を指す音葉で、これを天とするのは中国の極天思想が入ってきた7世紀以後のこと。
つまり、天孫族は海原からやってきた・・・つまり、外国から来たと言ってるわけです。
そしてその場所が日向(宮崎県)にあり、神が『天孫降臨』された場所として言い伝えられ、
その後に神武天皇が誕生しています。
天照大神の孫であるニニギノミコトのひ孫が、神日本磐余彦(神武天皇)です。
神日本磐余彦(神武天皇)は、日向から東征し、大和の橿原で初代天皇として即位します。
これが、『神武東征』
つまり、神武天皇が初代天皇であり天照大神とも関係の深い存在。
そして天照大神は皇祖として、
現在の皇居の三殿の中央にあるここにも天照大神が祀られています。
まとめ
では、ここでまとめます。
・伊勢神宮には2つの神が祀ってある。
・渡来してきた天孫族の祖先は天照大神。
・天皇は天照大神を祀る。
・天皇は姫性を名乗り、姫性の由来は中国からきている。
・天孫降臨から神武天皇の場所が日向に集中してる。
・神武天皇は、ニニギノミコトのひ孫。
これで何となくでも『天皇誕生と伊勢神宮と天照大神』という関係性がつかめたでしょうか。
難しいですよね。
僕も書いててよく分かんなくなります笑
これも一つの説に過ぎないので、あくまで参考程度にしてください。
ではこの続きは次回。。