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【多様化する時代・思考】”何が正解で、何が間違っているのかが分からない”と悩んだ時に必要なものとは?

【多様化する時代・思考】”何が正解で、何が間違っているのかが分からない”と悩んだ時に必要なものとは?

先日立て続きに、個人的にやたら反応してしまった面白い出来事がありました。

 

もう一つ、これも。

 

テレビで報道しているところを僕は見てないので分からないですが、どちらも最近のネット上で盛り上がったネタでした。

 

皆さんはどう思いますか?

めちゃくちゃ面白くないですか?

 

僕はこれらの話を聞いた後ネット上の反応を見ていて、盛り上がった理由や特徴を調べてみると、「日本人と外国人」そして「若い世代と上の世代」との価値観や思考の違いをわかりやすく表しているなと思いました。

個人的にはどっちが良いとか悪いとかの話なんて興味はありません。

 

ただ現代を象徴するようなことであり、様々な世代や考えを持つ人々がミックスして、”何が正解で何がダメなのかがよく分からない”と言う不思議な現象も起きているのも事実。

決して人ごとだと済ませず、自分達にはこれから何が必要なのか?について僕なりの考えをまとめてみました。

 

NZ首相国会に子供連れの件と熊本市議会の飴玉の件について思うこと

 

 

今回の出来事に関しては、元々僕もニュージーランドに住んでたのですごく親近感が湧いたと言うのもありますが、日本以外の国ではこういったことが日常茶飯事で起きるものです。

日本ではあり得ないと思うことが海外では当たり前だったりする。

 

良い悪いは人それぞれの意見なので、否定も肯定もしません。

ただ僕たちがここから学ばなければいけないのは、海外においての価値を感じる部分や外国人の思考や発想を理解することです。

 

日本人の当たり前は海外では意味を成さない

日本に住んで日本にしか住んだことない人は、当たり前ですが日本というシステムしか知りませんよね。

日本人ならではの風習・考え・行動、全て日本独自の価値観の元に自分自身を構築していきます。

 

でも海外に住んだ経験のある人や外国人の友達がいる人というのは、先ほど言ったような日本独自の風習・考え・行動が通用しないことを知っています。

日本人なりの考えで言えば、国会に子供連れてくるなんておかしな話です。

国会という大事な議論をする場で色々な国の代表が子供を連れてきたら、議論どころか子供たちが騒ぐような事態になり、議論どころではなくなってしまうでしょう。

 

でもここで一つ考えて欲しいのですが、今回の”NZ首相が子供を国会に連れてきた”という行為がどうのこうのではなくて、それ以前に彼女がどういう風に行動してこの経緯に至ったかまではご存知ですか?

もし表面的なところだけで判断されているようでしたら、完全に情報不足です。

知っている人は知っていると思いますが、これ見てください。

このIDなのですが、国連が発行している子供向けに作ってもらった入場許可証です。

すごいですよね、「そこまでやるんかい国連!」と言いたいと思いますが、でも認めてもらったという事実がそこにはあります。

 

あくまで彼女は国を代表する人でありながら、一人の女性であり、子供を育てる母です。

当たり前のように勝手に連れてきた訳ではなく、国連が許可した上で入場してきている訳です。

 

細かい経緯は分かりませんが、もしダメなら外で旦那が面倒見てれば良いですよね。

でも経緯はどうであれ、入場の許可を与え、旦那も入場して一緒に参加させた。

訳わかんない話ですが、それでもOKだからOKなんです。

 

もちろん国連の中には否定派の意見もあったでしょうが、でも国会において首相として議論をしながら母としてもやっていた。

これの何が悪いことなんでしょう?

やるべきことはやり、そこに子供がいて夫もいる、しかも自分だけの判断だけではなく周りからの許可を得て周りの人たちも受け入れている。

 

結果的に人に迷惑かけて問題じゃなければそれでいいんじゃないでしょうか。

 

そもそも、彼女は出産して3ヶ月で復帰し、自宅で仕事しながら夫と2人で子供の面倒も見ている。

しかも37歳で国を代表する首相なんです。

普通の女性ならできないですよね、国の代表でありながら母としての役割もやらなければならない、そして旦那が子供の世話をしている。

 

日本人にとっては理解できないことだらけでしょうが、現実として起きているのです。

 

ルールやシステムは常に変化していくもの

次に先ほどの飴玉の件についても同じことが言えます。

”喉が痛かったからのど飴を舐めて登壇しようとしたら指摘された”ということでした。

彼女の意見としては、喉が痛いのに咳き込みながら説明をするようでは、聞き取りにくいしちゃんと説明できないという問題があるから、のど飴を舐めましたと。

そしたら怒られた。

 

これ、いつの時代の話でしょうか?

 

昔僕たちが学生の頃は、「部活中に水を飲むな」と言われて教育されてきましたが、15年以上も前の話です。

それが古き良き時代なのかもしれないですが、今でも「それでよかった」「そのこと自体に価値があった」と思っている人がどれほどいるでしょう。

 

時代と共に価値観も変わってきて熱中症対策の為に水飲んだり、塩飴舐めながら甲子園で戦っている選手たちを見ませんでしたか。

要は、飴を試合中に舐めているから勝った負けたとかではありませんよね。

勝とうが負けようが、その要因は練習が足りなかったからとか単純に相手が自分のチームをうまく分析をしてきたとか、結果には色々な理由があるわけです。

 

飴を舐めて説明ができないほど大量に舐めているならまだしも、喉の痛みを抑えながらちゃんと説明する為にのど飴を舐めてるのであれば、何も問題ないのではないでしょうか。

 

 

むしろ昔の価値観に縛られて変化しようとしない、もしくは「今時の若者は…」とか言って若者を下に見ている時点で、これ以上日本がよくなることはないと思っていいでしょう。

ルールや決まりは常に変化していくものだし、その都度変えていかなければいけないと思います。

 

でも今の日本がやろうとしていることは、既存のシステムを守ること、そして新しいものはとにかく潰してナンボの世界。

いつまでも自分が正しい・俺は間違っていないと思っているだけでは単なる老害でしかありません。

 

ただ最近すごく感じることがあるのですが、色々なものが多様化していくにつれて、”何が正しくて何がダメなのか”が分からない人が増えているように思います。

その原因こそが既存のシステムへの執着が影響を及ぼしているんです。

 

何が正解か分からない時代に必要なものとは?

 

では皆さんに質問です。

上記で挙げた出来事に対して、自分の意見が絶対に正しいと自信を持って言えますか?

 

おそらくそれぞれの考えはあっても、普通の人であればどっちが正しいとは言えないと思います。

じゃあ皆は結果的にどこで判断するか?と言うと、”意見が多い方で判断する人”が圧倒的に多い。

大きな波に影響されやすい人の特徴ですよね。

 

賛成が多いから自分も賛成、否定派の方が多いから否定と、自分でも気づかないうちに判断している場合が多く、特に影響力のある有名人の発言などは人々の判断を決める理由の一つになったりします。

分かりやすいのがテレビに出ている著名人ですよね。

 

でもその著名人の意見が自分と合っていればいいのですが、自分とは正反対の意見を述べられて「自分の意見を否定された」「俺の意見は間違ってた」なんてことを思ってしまい、結局何が正しいのかが分からなくなってしまう。

特に最近ではネットの意見はかなり影響力があるようで、人々の思考を混乱させるものにもなっています。

 

でもそもそも、正解や間違いを求めることに意味や価値があるのでしょうか。

 

正解を求めるのではなくて、自分が正しいと思っているなら正しいし、自分が間違っているというなら間違っている。

ここに誰かの意見なんて全く必要ないし、その意思や思考を作り出すのも自分の自由。

例え人と違う思考を持っていても、それはあなたの魅力であり良い部分、ただ周りの意見や考えを受け入れ議論することに大きな価値があると思います。

 

文句や言いたいことを言うのではなく、伝えて会話する能力です。

これは日本人の多くが最も苦手とする部分でもあると思います。

 

正解を求めるのではなく自分で作っていく

 

過去に個性に関しての記事でも説明したことなのですが、

まさに日本人の多くは”自分と似ているか似ていないか”で人を判断し、無意識に見た目や考えを似せようとするせいで自分というものを失った人が増えていると言われています。

参考記事:「個性はいけない」と教えられる日本と、「個性は宝」だと教えられる海外

 

そういった人たちの特徴として、みんなが右だと言うから右、これが白だと言うから白だとしか思えない。

何か大きなシステムや影響により、正しい・間違ってるを勝手に認識させられ、真実なんてそっちのけで周りを巻き込んで違う意見を否定して潰し、あたかも自分は間違っていないと自分よがりになっている人たちのことを言います。

 

いつから個性や人間味溢れるような人が少なくなってしまったのでしょうか。

僕はその理由の一つに、自分の意見だけで止まらず答えや意見を他からも求めてしまうから、自分というものを持てず自信がなくなり、結果的に大きな波に流されやすい人を作り出してしまっているのではないかと思います。

 

そもそもその人がそれで良いと思っているならそれで良くないですか。

一度きりの人生において、自分が信じていること、自分が正しいと思っていることをやるだけでいいし、それがもし間違っていたとしてもそれでOK。

間違っていたら周りが修正してくれるだろうし、その都度方向転換しながら臨機応変に対応すれば良いだけ。

 

現代は多様な生き方や考えがあって当たり前だし、何が正解なんて考えは必要なく、正解は自分で作り出していくものだと気づいた方がいい。

純粋に楽しいとか誰かに喜んでもらうことに意識を置き、自分が嫌だと思うことは極力やらない。

もちろん我慢や根性なんて必要なくて、正解が分からないんだったら自分の好きなことに時間もお金も費やした方がいい。

 

よくお金稼ぎと遊びは違うと言う人がいますが、その人は遊びをお金に変える努力をしたことがあるのでしょうか。

 

様々な方法でやりたいことをやりながらお金稼ぎができる時代なのに、ただの遊びで終わっていないか?

そもそもその稼ぎ方すら知らないのではないか?

 

まずは自分自身がワクワクすること、純粋に夢中になれることを見つけ、それをどうやったらお金稼ぎに繋げらるのかを考えること。

その思考を持っていなければ、遊びをお金に変えることなんてできる訳がありません。

 

やりたいことが見つかった時に、どれだけ純粋に楽しんで夢中になれるか?

ちなみに僕はほぼ毎日、ブログを8〜9時間書いています。

なぜ自分にそれができるかと言うと、楽しい以外にありません。

楽しくなければやらないし、自分の性格的に続けることすら難しいでしょう。

でも現実として、続いているしお金も稼いでいる。

これに正解とかありますか?

 

会社員で雇われて働くことが当たり前だと思っている人にとっては、「バカじゃないのか」と思う人もいるかもしれないですが、現にブロガーやYoutuberなどは毎日このくらいの時間もしくはもっとやっていながらも、会社員の人より稼いでいる人はたくさんいます。

彼らは一般の人と違う考え方を持っているから、やれているし結果も出している。

 

そこに正解も間違いもなく、色々な失敗や経験を繰り返しながらも今まで継続してきた。

その結果、お金も自分の時間も確保できているというだけ。

 

もう一回聞きます、これに正しいとか間違っていると言う言葉当てはまりますか?

 

これからの時代に正解を求めてはいけません、信じていいのは自分だけ、そして自分自身を常に高める努力をすること。

止まってはいけません、お金の為に働いてはいけません、全ての物事に対して偏った意見を持ってはいけません。

 

まずは受け入れ、消化して、自分の糧にし、自分を信じる。

決して周りの意見や大きな波に飲まれないように、自分の信念を持って何事にも挑み、挑戦することを拒んではいけない。

 

僕はそう自分自身に言い聞かせ、自分を信じてこれからも挑戦をし続けていきたいと思っています。

 

読んで頂きありがとうございました。